宮崎駿監督『もののけ姫』1997年

ベストムービー。ワンカットも無駄がない、凝縮された映像。言葉での説明も少なく画でみせる。映画館で観れて本当によかった。アシタカが村を出て下に出るまでのシーンの風景なんてもう贅沢。川のシーンの音も繊細に聴けるというんで映画館に行く価値がある。
自然と人間という二項対立ではなく、タタラ場の両義性が一番印象的。というか希望はタタラ場にしかない。自然だけでもなく武士の徳でもない福祉国家的なコミュニティ。エボシの庭に行き憤る場面、祟られたハンセン病者の言葉に、女たちとタタラを踏むときにタタラ場の公正/厚生を聞き苦い顔をするアシタカ。
自然と人為の狭間で引き裂かれるアシタカの苦悩が素晴らしく表現される。「どちらも争わずに生きる道」は難しいが求めるべき理想だ。
自然はそれを「穢れる」と言い、人間は「バカ」と言う。しかしそのどちらも選ぶのが正しい。獅子神は「生と死どちらも」司っているのだ。
このリベラルで保守的な態度こそ唯一の道だろうと思う。武力と利益だけの征服的な武士でも、人為をすべて排除しようとする原始的な、いわば共産的な自然てもなく、こういうと薄っぺらいがリベラルで持続可能な社会こそ正義だと。
アシタカは強い個性、カリスマをもちつつも、あくまで狂言回しにすぎない。エボシとサンの心変わりこそ物語の主軸だ。
エボシの「最初からやり直そう。いい村にしよう。」との言葉は、福祉を求めるあまり自然への攻勢を強めた反省がみえる。無論、利に聡い武士・朝廷に抗し、肩を並べるには、つけ込まれる前に地盤を固め、武力の資源である鉄をしっかりとおさえなければならない。しかしあまりに急いてしまった。あるべきバランスを求めつつタタラ場をつくってくことだろう。
サンもアシタカという中間的存在に当初戸惑い拒絶するが、「アシタカは好きだ。人間は許せない。」と進展をみせる。これにアシタカは「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って」と応える。アシタカが森とタタラ場を、自然と人間をつないでくれる。ここに一縷の望みがある。
影が薄いが、この物語で一番の悪はアサノだ。しかし宮崎の戦闘描写は透徹でさらっと挿入されているが意外に残酷。子どもの頃から観ている作品とは思えないほど成熟した、リアルな映画。
台詞少なな映画を支える音楽は骨太で、この音楽は映像の強さに重みを与えている。それにしても米良美一もののけ姫」はいい。宮崎の詩が、深手を負ったアシタカが祠から出てくるところで極限にまで表現している。サンの美しさに含まれる危うさを、どうにか繋ぎ止めようとするアシタカの優しさ。
やはりアシタカは主人公かもしれない。最初アシタカはタタラ場を出てサンの元へ、人為には敵対し自然に近づこうとする。それがタタラ場で暮らしていく、生きていくことを決めている。タタラ場の重要性が示されている。森とタタラ場の対立に一見思われるが、思春期を過ぎれば読み取るのは容易なのだが、森と武士・朝廷の対立に挟まれているのがタタラ場だ。一晩の経験でアシタカはそれを知っている。
なんて残酷で優しく、一筋の光明を残す、リアリティのある希望を示す映画だろう。

追記(2020/7/8):Youtube岡田斗司夫の解説がめちゃくちゃ面白い。特に巨石文明の説明とモロの住処の関連。他のジブリも解説してるんだけど、宮崎駿がいかに分かりにくくというか、説明なしに色々盛り込んでるかが分かる(笑)まあそこがいいとも思うんだけど、設定資料、絵コンテ等、解説本とか読み込んでからまた観返したい。