クロエ・ジャオ監督「ノマドランド」2020年

filmarksに書きつけたものをほぼそのまま転載する。粗いし作品の描写をもっと引きださないとダメだ。まあとりあえずのもの。

 

ノマド」と「ランド」とは相反するようにすら思える。この二つの語がつなげられたタイトルには、どのような意味があるのか。

 ふつう、ノマドといって思い浮かべるのは土地に縛られず自由奔放に流浪する様だ。土地は強固としてあるのだから、住みかを転々とするのは土地からわざわざ離れようとするからだと思うはずだ。
これは日本の狭い土地に住んでいるから抱く先入見かもしれない。というのも、本作の映像を見てわかるように、アメリカの工業化されていない(できない、あるいはし尽くした)、資源の尽きた、そして荒々とどこまでも広がる大地は、もはやあまりに住むに適しない。もっとも、そうであれば、そんなところに住まなければいいのかもしれない。人が沢山住み、立派な家を建て、裕福に暮らせる土地なら他にあるはずだから。

 

 しかしそうはできない事情というものがある。人間はひとりで生きるのではない。人間的に暮らすには共同体に属し、また共同体に属しなければ、その生はおそらく孤独だ。ただその共同体は持続しある程度固定的でなければ、そこに属する人間の存在も不安定になってしまう。そうした共同体の基盤こそが土地である。しかしなおも、住めないような場所ではなく住める別の場所に定住すればいいのではないかと思われるかもしれない。


 住めないような場所にこだわる理由とはなんなのか。先の共同体の持続という条件にかかわる。共同体の持続とはすなわち歴史である。その土地にはあの人がいた。その人とのかかわりでまたあの人がいる。そしてその人とのかかわりで私が、あなたが。私との、あなたとのかかわりで、また誰かが。
 主人公は、今まで住んでいた土地に、住もうにも住めなくなった。それは自分という存在、実存の危機である。自分の存在はその身ひとつであるわけではない。主人公の場合には、とりわけ愛する夫は、その身体がその形をなくしたとしても、自分の存在の一部となっている。


 壮大な山々、どこまでも広がる大地は、揺らぐことないほど強固であるようだ。しかしそれが人間の存在を表現するものとしては、ときとして頼りなくなることもある。それは、そこに住む人間の歴史・文化が失われようとするときだ。
 主人公は夫がそこにいた証を、その痕跡を、今もとどめようと、つまり自らの存在を守ろうとしている。旅するなかで痕跡を周囲に散りばめることで、その痕跡と痕跡の間での出会いと再会を準備している。それは他者との豊かな関係を含み込んだ時間、つまり歴史を生み出す行為である。
 この主人公の営為を支えるのが詩というのが、象徴的でもあり、とても美しい。

今年観た映画振り返り(2020)

今年から映画をちゃんと観ようと思って、とりあえず100本目標で結果116本。12月は修論忙しくて1本しか観れず...120本は観たかった。100本というのはかなり少ないのは分かっているのだが、なかなか難しい。学部生のときに沢山観ておくんだった。来年はもっと、月15本とか観たい。

 

今年のベストは、キム・ボラ「はちどり」かな。

エドワード・ヤン「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を彷彿させる映画で、マクロな社会不安とミクロな具体的な生活のレベルの不安が相似形となって連動していることを、映画表現ならではという仕方で映し出している。公開は去年だけど今年劇場で観たオム・ユナ「マルモイ ことばあつめ」(「タクシー運転手」と同じ監督))も号泣必至の良作で、韓国は社会派の力作が多い。

 

次点は、ダルデンヌ兄弟「その手に触れるまで」。原題は少年アメッド(Le jeune Ahmed)のところ、作品の本質を抜き出すかのような邦題。イスラム原理主義から少年を救い出すというテーマ。少年の心の機微を精緻に映し撮るカメラに倫理的な緊張が溢れていているが、ラストに希望がある。

 

タランティーノ、スコセッシはフィルモグラフィーを網羅しようとしたけど、半分もいかなかったので来年こそ。

タランティーノヘイトフル・エイト」は、テーマも完璧だし、それに加えてラグジュアリーで、豊かな作品だった。

スコセッシの「ゴッド・ファーザー」3作、「ギャング・オブ・ニューヨーク」は、アメリカと移民・ギャングの歴史を見事に描いていた。同じテーマの延長のはずの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」見逃してるのツラい。そしてトッド・フィリップス「ジョーカー」がリスペクトする「キング・オブ・コメディ」、「タクシードライバー」は、「ジョーカー」と違って社会とのディスコミュニケーションの不気味さを表現していて怖さが残り続ける名作。

 

不気味さ、不穏さといえば黒沢清。「スパイの妻」も傑作だったし、「CUREキュア」、「回路」、「アカルイミライ」と観て、そのカメラワークと編集に映画表現かくあるべしと教えられた気がして、映画愛がいや増した。シネフィルになりたい…

田中登監督「(秘)色情めす市場」1974<ネタバレあり>

凄い。黒沢清「CURE」の衝撃と同じくらいの衝撃をまた食らった。
物語の筋は、まあなんということもないと言ってもいいかもしれないけれど、当時の大阪の、今で言ういわゆるディープ大阪の風景を、人々を、つぶさに写していることや、とりわけ圧巻のモンタージュは、映像芸術たる映画にとって真のネタバレとは物語の筋を言うことではなく、この衝撃的なまでの芸術的な映像の連なりを言うことである、と教えてくれる。


最初の通天閣の遠景から引いてフェンスを通過してこちらに来ると、今度はまた右下の路地の女二人に寄っていく。途中通天閣を背景に入れるショットを挟み、最後の見せ場が通天閣で起こる。本作の世界は完全に立ち上げられている。


爆死した方の女が恋人がいなくなってオヤジに抱かれるシーンもいい。天井からの超越的ショットも、この無情な世界の渦に巻き込まれて為す術もない無力さを見事に醸している。


そしてやはり主人公トメが、中庭を挟んで母が捕まりさらに腹を痛めるところを見、客の部屋に戻るときのモンタージュだ。客の声だけが響き、トメの顔からカメラがパンするように動くかと思うとトメの顔、客に突かれるトメなのだ。そしてそれをトメが見ているようなカットが来る。見事なシーン。


実夫とトメのセックス後からの突然のカラーにも驚いたが、ゴム人形ではない鶏を大空に逃がそうとするシークエンスもよかった。結局実夫は首を吊るが。このことから自分は、この映画が単純な「人間讃歌」、人間の生の肯定とは思えないのだ。しかし通天閣を背景にした空き地でくるくると踊るトメと明るい音楽をどう解釈しよう。

 

大阪を出ずに、ここにとどまることを選択した、しかもここでは誰も希望をもっていないからと。この無情な世界を引き受けたのか、諦めたのか。絶対的な肯定でも否定でもないのかもしれない。爆死した女とオヤジとのセックスにはエロスが見えた。最後のトメも「私も感じたい」と言った。搾取される者のなかに悦びを見出だすのは、構造的に暴力的かもしれない。しかしだ、こうした悪しき世界を正当化しようというのではない。この複雑で曖昧な世界に、あらゆる生の輝きと強さと、なんらかの美を見出だすのだ。

Dos Monos動画&記事リンクまとめ(随時更新)

Dos Monosいい。批評的・思想的でハイコンテクストなグループでもあるから、インタビューとかを読むとさらに楽しめる。なのでここに記事などをまとめておく。最終更新2021/10/18

 

ラジオ

TOKYO BUG STORY

2020/08/31:https://open.spotify.com/episode/5KdT6U75LxeMYPuDDjla5Q?si=9_dNHSpjQUW3Y-gdHTtuaAPodcast新連載「WIRED/TIRED with Dos Monos」初回ゲスト三宅唱

2020/10/05:https://open.spotify.com/episode/5hfepP4MiJJx3X8gQMo9pU?si=2gmmV7j9T6ep1cUBUxdMnw(アーティスト、クリエイター同士のリレートークコムアイ荘子it)

2020/10/12:https://open.spotify.com/episode/01w5bF4r7C6QejZInsS9Js?si=mqlUdPIURkyT69CQe6d2pQ(リレートーク荘子it→Licaxxx

2020/12/17:https://open.spotify.com/episode/21g3mDdL8m44WPOpy7JPmF?si=WVzGYWYuTgmMAvApZ5WY1w(WIRED/TIRED with Dos Monos第2回 ゲスト山下敦弘監督) 

2021/05/07~:https://spinear.com/shows/tokio-curry-club/

 (TOKIO CURRY CLUB:TaiTanがナビゲートするカレー番組)

2021/08/19①:https://open.spotify.com/episode/5v1ZO9RXMbam3Zprbm5MwK?si=4c9caaa2bfc94728(#191 なんでPodcastとかやってんの? Guests: 玉置周啓(MONO NO AWARE)、TaiTan(Dos Monos) - 三原勇希 × 田中宗一郎 POP LIFE)

 2021/08/19②:https://open.spotify.com/episode/20ohgoOyqAGV9BVYLIBadL?si=a8325b014d924bad(#192 悲喜交交Podcast残酷物語 Guests: TaiTan(Dos Monos)、玉置周啓(MONO NO AWARE) - 三原勇希 × 田中宗一郎 POP LIFE)

2021/08/20:https://open.spotify.com/episode/5wKDgt68asvYBJXOlLVv4a?si=4xeGRTqHQ4Sg-86Xe67iYQ&dl_branch=1(x) Talk #10 | 再構築論 - 山口歴 x TaiTan x 荘子it - NIKELAB RADIO* )

 

Youtubeにあがってるインタビューなど

2019/04/12:youtu.be/tOyA3mppjjYBEAMSトーク番組)

2019/05/17:youtu.be/Nfieuaue9mo (HIP HOP DNAのインタビュー(前半))

2019/05/24:youtu.be/cW3ILwfzYtg(同後半)

2019/05/24:youtu.be/WHswDRvitEY(オタク IN THA HOOD荘子itの家)

2019/06/05:youtu.be/OWWH6Qb7590(ジロッケン前編)

     youtu.be/s3Ix9aj1tzI(ジロッケン後編)

2019/09/18:youtu.be/-SIZRzYzJZw荘子itの曲紹介)

聴いてる曲からしてセンス!

2020/05/29:https://www.youtube.com/watch?v=83PBdporVb8&ab_channel=RealSoundMovie宮台真司×荘子it 『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』刊行記念トークイベント)

 

Dos Monosについて語ってる動画

おまけの夜①:youtu.be/84yCRtDWdnM

おまけの夜②:youtu.be/nZk_C7lZhNYDos Sikiレビュー前編)

おまけの夜③:youtu.be/25H1NiQAITcDos Sikiレビュー後編)

おまけの夜④:https://youtu.be/XVUXcoGRe-w(Larderello感想レビュー)

 

ネット記事

2018/06/15:qetic.jp/music/dosmonos(カルチャー系ニュースメディアQeticのインタビュー)

2018/08/10:neutmagazine.com/interview-dos-(ネットマガジンNEUTのインタビュー)

2019/03/20:cdjournal.com/main/cdjpush/d(CDJournalのインタビュー)

2019/04/07:book.asahi.com/article/122725(好書好日で3人が本を紹介)

2019/05/30:neol.jp/music-2/82809/(ネットメディアNeoLのインタビュー)

2019/07/04:redbull.com/jp-ja/rasen-01(RedBullの荘子itインタビュー)

2019/07/05:lee-japan.jp/shop/pages/speジーンズのLeeのインタビュー)

2019/10/29:note.com/451note/n/n158(Note記事)

2019/11/02:https://rollingstonejapan.com/articles/detail/32346(小林祐介、君島大空、荘子it、菅野結以の座談会)

2020/01/14:meetia.net/music/amenopar(雨パレとのクロストーク

2020/04/29:wwdjapan.com/articles/10745(TaiTanのSTAY HOME PLAYLIST)

2020/05/26:https://www.cinra.net/interview/202005-smtkzoshit_ymmts『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』インタビュー

2020/05/27:i-d.vice.com/jp/article/bv8(i-Dのインタビュー)

2020/08/02:https://natalie.mu/music/column/390086(アーティストの音楽履歴書 荘子itのルーツをたどる)

2020/08/04:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74614(音楽ジャーナリスト柴那典と、コンテンツレーベル黒鳥社の若林恵を交えての政治と音楽についてのインタビュー前編)

2020/08/05:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74615?imp=0(同インタビュー後編)

2020/09/10:fnmnl.tv/2020/09/10/105(fnmlのインタビュー)

(「メンタルヘルスが優れないときどうしてる?」Taitanインタビュー)

(THIS SOUNDS GOOD?展(荘子itが参加)インタビュー)

2020/09/24:https://www.cinra.net/article/interview-202009-dosmonos_kngshclDos Monosからの挑戦状に、自由な発想で表現。リミックス座談会)

2020/11/10:https://www.asahi.com/and_M/20201110/18887497/荘子itインタビュー、“普通さ”と現代の天才の条件について)

2020:ファッション雑誌VOSTOK #4 http://magazineisntdead.com/?pid=156309329荘子itインタビュー&フォト)

2021/07/07:「How I Podcast:「拡散されたくない」はずが人気番組に。『奇奇怪怪明解事典』の2人が語る、ポッドキャストだから話せること」https://spotifynewsroom.jp/2021-07-07/how-i-podcast-kikikaikai/Spotify『奇奇怪怪明解事典』インタビュー) 

2021/09/30:https://fnmnl.tv/2021/09/30/136142(メールインタビュー『Larderello』)

2021/10/01:https://www.fredperry.jp/subculture/playlists/zozhit荘子it、FRED PERRYのモデル&UK音楽に関するインタビュー&プレイリスト作成)

2020/10/18:https://www.cinra.net/article/202110-dosmonosjazzdommunisters_kawrkcl荘子it×JAZZ DOMMUNISTERS鼎談 ヒップホップはジャズの孫)

 

荘子itの映画評

2020/10/23:https://t.co/MXoe3qzIi0?amp=1黒沢清監督「スパイの妻」評)

2021/08/18:https://www.houyhnhnm.jp/feature/504532/(8人の識者の目に映った、映画『Summer of 85』の残像。)

 

没のyoutubeチャンネル(ソロでのrapがアップされている) :https://youtube.com/channel/UCCE7tN9kJ5uc09uehZwy4lA

 

ふくだももこ監督『おいしい家族』2019年

ふくだももこ監督のやさしい世界観。(悲しいかな)現在のマジョリティの感覚が、マイノリティに反転するという仕掛けの妙。これ、意識はそのままにマイノリティになっちゃったというのとは大違いで、マイノリティに対する偏見がない人たちがマジョリティになり(現実もこうあってほしいのだが...)、自分だけそうした違和感をもってしまうという設定。

 

主人公・橙花は、頭では多様性が大事で尊重すべきと分かっていても、本音では、感情ではそれを認められない。弟・翠に「外国人と結婚したからって寛容ぶらないでよ」と当たるシーンは憎い。これは裏返せば、私だって気持ちがついていけば認めたいけど「普通」そんなの無理だろ、って叫んでいるようにも聞こえる。無論、八つ当たり、というか現在の偏見が当たり前の世界で暮らしているからそう感じてしまうのだろう。

あるいは後のシーンでは、父・青治に、お母さんもいなくなってお父さんまでいなくなったら...という話をしているので、自分から何かを奪われるという漠然とした不安が排他的な感情につながっているのかもしれない。実際には、寛容と何かを奪われる危険の間には全くつながりがない。だから橙花も父をありのまま受け入れることができたのだろう。

 

全体としては映像が綺麗で、最初はポップな演出で、ビビットな画から始まり、明るいドゥビドゥバの音楽。冷え切った夫婦のディナーも鮮やかな赤と白の色彩で鮮やかに描く。夫婦の沈黙の間も明るい音楽は続いている。それから映像では風景も素敵で、橙花がひとり飲んだくれて歩く暗闇の道と、父と二人での同じ帰り道、そして東京から島へ向かう際の海、葬式で疎外感を味わった後の赤みがかる月が浮かぶ海に、父に母の面影をみた後の夜の海、最後に青治と和生の結婚式の晴れやかな澄んだ青い海。実家ついてすぐの台所を右から左にカメラが撮ったのも綺麗だった。あと好きなのは葬式の準備で、和生が座布団を並べていくとこ。田舎感もあっていいのよ。

 

好きなシーンがいくつもあって、実のところ好みでいえば、ドラマ感の強い演出が苦手なのでコミカル強めでミュージカル風なシークエンスもある本作はドンズバ好みじゃないのだが、細部がしっかりと作りこまれていて説得力があり、かつ強い台詞があることで、そんな自分でも引き込まれ好きになるシーンがあった。

 

先の穂香と夫のディナーシーンでは、別居中の3周年の結婚記念日に、その明々後日の母の3回忌ときて、「お父さんによろしくね」からの「別居中ですけどよろしくって?笑」の鉄板スベりジョーク(ナイス)。両親は何も言わずに分かり合えてうまくいってたのに、からの青治と和生の阿吽の呼吸。「アレとって」「はい」「アレどうした?」「あー喪服?あそこ」、笑った。対比が上手い。分かりやすいシーンだけど、自販機のところも、橙花は相手が自分と違うということ自体におそらく居心地の悪さを感じていたのではないかと思うのだが、最後には微糖のコーヒーを買って渡す。3年で好みを知らないというのも問題だし、ささやかに変化を見せた橙花だけれど、微糖のコーヒーをもらった夫がフハハと笑ったのは、砂糖のあるなしじゃなくてコーヒー自体が駄目だったからじゃないかと思う(笑)。それでも変わろうとしている橙花が微笑ましくて。

 

福島という情報の入れ方もいいなと思った。あとサムジャナ(イシャーニ)の誕生日。横田由美子さんという方が「結婚式のデモクラシー」といって男尊女卑・家父長制ではない結婚式の行い方を提唱していた。平等にできることはできるだけした上で、席順やスピーチの順番、立ち位置などその場その場では平等にはできないことは、夫婦で替わるがわる、かわりばんこで行うというもの(「代わるがわるの輪番制」)。ある社会、家族のなかに入るとき言語は一つである方が便利だし、食事の様式も基本的に決まっている方が便利だ。そのとき誰かは、別の誰かたちに合わせているかもしれない。できるだけ多文化共生をしようと思ったら実際、どこかで代わりばんこで相手に合わせることが必要になるんじゃないかと思った。その比率は偏らざるをえないかもしれないけれど、サムジャナの誕生日のもてなし方には平等と多文化共生の理念が生きているような気がした。

 

瀧が「自分を恥ずかしいなんて思いたくない」と心情を吐露する場面、演技がよかった。役者の方々がみんなよかった。出てきた瞬間、この人好きだーってなる浜野謙太。教会の綺麗なお祈りシーンで出てきた裸足のモトーラ世理奈。橙花が実家で振り向くと下から舐めるようなショットで登場する板尾創路。「母さんになろうと思う」の台詞の言い方がめっちゃいい。瀧(三河悠冴)と父親の和解の場面も二人の演技よかったなあ。

 

翠(笠松将)が橙花に当たられたとき、非難しかけてやめたところもよかった。ふくだ監督の映画を観ていると、なぜかハロプロの曲が浮かんでくるのだが、このときは「バカなふりばっかりしてるヤツが いいヤツだったりするんだ」(アンジュルム/七転び八起き)が浮かんだ。ハロプロ推しからすると、ダリアの「アイドルだからって白くなくていいやって」と日傘を差さなくなったのも熱かった。その通りだよ。教会で和生に橙花が、なぜ結婚するのか訊ねたとき、和生が「結婚て別に女とか男とか恋とかセックスだけじゃなくて、愛さえあればオッケーだと思う」と答えたのは最高で、「結局はラブでしょ」(アンジュルム/46億年LOVE)って思ったのでした。橙花が青治に化粧をするシーンはとても綺麗だったなあ。

大森立嗣監督『MOTHER マザー』2020年

観たくない予告。観客をバカにしたような映画ばかり流れて、実際そういう映画が興行的に伸びるんだから困るけど。そうして大変なときにも足を運ぶような熱心な観客は少なくなってしまって、総じて興行収入は危機的。新作映画の伸びはよくない。
そんなどんよりとした気持ちで始まった本編。最初のワンショット、これはいい映画だと直感する。最近観た『ストーリー・オブ・マイライフ』ばりの、これだけでその映画の総てをみせるようなショット。上から撮った坂道、降りていく母子。
これだけ芯の強い映画あればまだまだ邦画も捨てたもんじゃないんじゃないと思った。マイノリティを撮った邦画は最近多い気もするけど、なんだか微妙な、言っちゃ悪いけど拙い作品が多い。何を撮るかも大事だが、それ以上にどう撮るかが大事だ。

最小限の音楽は心地いいし、長めのショットでは意図が明確に読み取れるし、少ない台詞でも演技で語る。基本的なことのようでこういうことがしっかりしてるだけで、過不足ない映画が観れるんだと感動した。偉そうかもしれないけど率直な感想だ。
パンフレットも買ったけど、表紙がこれまたいい。表裏どちらにも母と息子のツーショットだが、一方は母・長澤まさみが斜に息子の背を見、他方では息子・奥平大兼が心配と不安の眼で母の背をみつめる。
母は弁明の余地なく残酷なのだが、自分は責める気持ちにならなかった。なんとなくこうなってしまう事情が分かるから。とはいえ、長澤まさみ演じる秋子がこうもどうしようもない人間になった経緯というのはそれほど描かれていない。これが逆に感情移入を誘うように思う。
少ない情報のなかで、姉が大学まで行ったが、自分は行っていないというのがあった。今より少し前になるときょうだい全員を大学に行かせるのは金がかかるし、娘ならなおさら大学に行かせるという選択肢は当たり前ではなかっただろう。そんな時代からバブルも崩壊し共働きがメジャーになり、いつのまにか皆が競争させられてる。スタートラインは実のところ同じではなくて公正な競争とはいえない。真面目に働くなんてバカらしくないか。自己責任なんてごまかしの言葉でしょう。

はてさて、しかしここまで他人に、さらには家族に冷酷になれるだろうか。最近面白い本を読んだ。『人・場所・歓待』という本。人が社会のメンバーとして承認されることがいかに重要か、それがどのように行われ(ない)かが書かれている。奴隷・軍人・移民(外国人)はその身体は私たちの隣にあっても同じ人間として扱われない。名誉のために闘う戦争から物理的な破壊・殲滅を目的とする西洋の近代的な戦争が全面化すると、当然総力戦になる。名誉の闘いであれば、どちらかの名誉が傷つけばそこで闘いは終わる。何千人が対峙しても最初の衝突で趨勢が決せば、そこに神意が表れたとして勝敗が決まる。名誉が問題になるのは「人間」同士だ。互いの人格を認めた者同士だ。
軍人には人格が認められない。モノとして扱われる。だから敵兵を殺しても殺人罪にはならない。相手を人格として扱ったら殺すことなどできない。「人格」を認められないとき、そこに残るのは生身の身体だけだ。総力戦のようなむごい事が起こるのは、生身の身体だけが集まり、ぶつかり合っているからだ。
秋子には名誉など微塵も問題にならない。そして自分の一部である子供を「人格」として扱うことも当然ない。誰にも承認されないということは、元から「存在していない」ということだから、どうにでもなれてしまう。
(さらっとしてるけど万引きのシーンめっちゃいいよね)
でも承認されないということは、とても耐えられるものではない。「人間扱いされな」ければ、尊厳も存在しないから。だから渇望するように承認を求める。リョウを、それがどうしようもない男であってもどこまでも求めてしまう。
また『人・場所・歓待』では、そうした「人間として承認されること」と「場所」というものが結び付いていることが書かれている。ホームレス生活に陥った家族は駐車場に張ったテントや道路、建物と建物の間にいる。公的に存在すべきでない、「場所なき場所」にいるしかない。いてもいい場所にいるときしか安心した生活はできない。ちゃんとした家、行政の提供する家、職場が提供する家、ホテル。最後のホテルの川の字には、家族の束の間の幸福が刻み込まれていた。

宮崎駿監督『もののけ姫』1997年

ベストムービー。ワンカットも無駄がない、凝縮された映像。言葉での説明も少なく画でみせる。映画館で観れて本当によかった。アシタカが村を出て下に出るまでのシーンの風景なんてもう贅沢。川のシーンの音も繊細に聴けるというんで映画館に行く価値がある。
自然と人間という二項対立ではなく、タタラ場の両義性が一番印象的。というか希望はタタラ場にしかない。自然だけでもなく武士の徳でもない福祉国家的なコミュニティ。エボシの庭に行き憤る場面、祟られたハンセン病者の言葉に、女たちとタタラを踏むときにタタラ場の公正/厚生を聞き苦い顔をするアシタカ。
自然と人為の狭間で引き裂かれるアシタカの苦悩が素晴らしく表現される。「どちらも争わずに生きる道」は難しいが求めるべき理想だ。
自然はそれを「穢れる」と言い、人間は「バカ」と言う。しかしそのどちらも選ぶのが正しい。獅子神は「生と死どちらも」司っているのだ。
このリベラルで保守的な態度こそ唯一の道だろうと思う。武力と利益だけの征服的な武士でも、人為をすべて排除しようとする原始的な、いわば共産的な自然てもなく、こういうと薄っぺらいがリベラルで持続可能な社会こそ正義だと。
アシタカは強い個性、カリスマをもちつつも、あくまで狂言回しにすぎない。エボシとサンの心変わりこそ物語の主軸だ。
エボシの「最初からやり直そう。いい村にしよう。」との言葉は、福祉を求めるあまり自然への攻勢を強めた反省がみえる。無論、利に聡い武士・朝廷に抗し、肩を並べるには、つけ込まれる前に地盤を固め、武力の資源である鉄をしっかりとおさえなければならない。しかしあまりに急いてしまった。あるべきバランスを求めつつタタラ場をつくってくことだろう。
サンもアシタカという中間的存在に当初戸惑い拒絶するが、「アシタカは好きだ。人間は許せない。」と進展をみせる。これにアシタカは「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って」と応える。アシタカが森とタタラ場を、自然と人間をつないでくれる。ここに一縷の望みがある。
影が薄いが、この物語で一番の悪はアサノだ。しかし宮崎の戦闘描写は透徹でさらっと挿入されているが意外に残酷。子どもの頃から観ている作品とは思えないほど成熟した、リアルな映画。
台詞少なな映画を支える音楽は骨太で、この音楽は映像の強さに重みを与えている。それにしても米良美一もののけ姫」はいい。宮崎の詩が、深手を負ったアシタカが祠から出てくるところで極限にまで表現している。サンの美しさに含まれる危うさを、どうにか繋ぎ止めようとするアシタカの優しさ。
やはりアシタカは主人公かもしれない。最初アシタカはタタラ場を出てサンの元へ、人為には敵対し自然に近づこうとする。それがタタラ場で暮らしていく、生きていくことを決めている。タタラ場の重要性が示されている。森とタタラ場の対立に一見思われるが、思春期を過ぎれば読み取るのは容易なのだが、森と武士・朝廷の対立に挟まれているのがタタラ場だ。一晩の経験でアシタカはそれを知っている。
なんて残酷で優しく、一筋の光明を残す、リアリティのある希望を示す映画だろう。

追記(2020/7/8):Youtube岡田斗司夫の解説がめちゃくちゃ面白い。特に巨石文明の説明とモロの住処の関連。他のジブリも解説してるんだけど、宮崎駿がいかに分かりにくくというか、説明なしに色々盛り込んでるかが分かる(笑)まあそこがいいとも思うんだけど、設定資料、絵コンテ等、解説本とか読み込んでからまた観返したい。