マイク・ニューウェル監督『フェイク』1997年

潜入捜査官とマフィアの擬似親子関係。泣ける。アル・パチーノが弱くて少しどんくさく、全く強さを感じないんだけど、愛情を凄く感じる演技。
潜入捜査官の辛さもヤバい。妻とのすれ違いに、家族を傷つけようとせずとも傷つけてしまう辛さ。そして自分の命も落としかねない綱渡り。
ドニーの上司には本当に腹が立って仕方ない。これ観た人みな共感なのでは。
潜入捜査官側が背負うリスクと潜入先に抱く感情。彼らが犯罪から手を引けない、マフィア稼業から足を洗えない心理・圧力に、親密になり抱く憐れみ。
潜入捜査官として成果を挙げるには、ただ犯罪の瞬間を待つのではなくて、犯罪を誘発することまでしなければならない。(これは法学部的には怪しいとおもうところなんだが…。あとさらに言えば警察の最初の手入れ、すなわち店の新装開店のときの突入は、グラス割りまくったり、あれなんの必要か分からないし、どういった正当性があるのか疑問だ)


最後のレフティに思いとどまらせようと説得する場面にも心打たれたし、そこから逆に裏切りを疑われたときに潜入捜査官として(殺される)リスクを回避し職務を遂行するところには胸が痛んだ。
もう最後は、レフティがドニーが電話してきたら伝えてくれと妻に残した伝言、「If it was going to be anyone, I'm glad it was him」。直訳すれば、「それが誰かであるなら、それが彼であって俺は嬉しい」。これは字幕で、「お前なら、許せる」となっていて、名訳だと思う。
なぜ許せるのかという野暮なことを言えば、ここではニッキーを裏切り者として殺した帰りの車中での会話が伏線になっている。「20年来の仲間をそれだけのことで消しちまうのか?」というドニーの台詞には、マフィアが、あるいはマフィアにおける親子・友愛の関係が、儲ける儲けないの関係以上のものだという気持ちが溢れているからだ。
日本のヤクザや、ひいては家族的といわれた会社が、ビジネス的な結びつきに純化していくときに失われてしまうものに、愛着を感じてしまうのは僕だけだろうか?