サミュエル・ジュイ監督『負け犬の美学(原題:SPARRING)』(2018年)

 新宿で、ハリー・クレフェン監督『エンジェル、見えない恋人(原題:Mon Ange)』(2018年)を観た後に、ハシゴして観に行った。

 

 『エンジェル』はすごく抽象的な映画で、登場人物のストーリーがほとんどない。社会からも隔絶されている。生活感というものがまるでない。エンジェルっていうくらいだし、神学的なモチーフがあるのかもしれないし、美と聖性みたいなものを映す、あるいは撮ろうとしても撮りえないものの美を表現する映画だったのかもしれないけど、正直おもしろくなかった...。

 

 ほとんど唯一といっていい設定の、いなくなったマジシャンの父もおそらく物語の筋に全く絡んでいないし、見えないものの美しさというなら化粧をして見えるようになったことでキャッキャして多幸感の溢れるシーンは矛盾だし、トンネルをくぐるシーンが2回あったけどあまり意図が汲みとれなかったし、という釈然としないことが多かった。

 

 宣伝がファンタジックな世界の恋みたいな感じなの、ちょっとミスリーディングじゃないかとも。みたいな感じで消化不良で、『負け犬の美学』を観に行くことに。

 

 やっぱり具体的に生活が見える作品の方がいい。スーパーで計量をごまかすことで会計をちょろまかしたり、めちゃくちゃ煙草をつまむようにしてまで吸ったり、チャンピオンのタレクと主人公スティーヴのジャージが全然違ったり。細部が物語全体を立ち上げていることが分かる。

 

 49戦13勝3分33敗の弱小中年ボクサーのスティーヴが、娘にピアノを買うためにチャンピオンのタレクのスパーリングパートナーになる。そして最後に引退すると決めていた50戦目に、チャンピオンの欧州王座をかけた戦いの前座の試合に出させてもらうことになる。とまあこんなあらすじ。

 

 スティーヴは自分の持ち味を分かっている。「打たれ強さ」だ。だからラストの試合の勝敗が分からなくても、勝敗はどっちでもいい。でもあの試合には勝ったんじゃないかと思う。無論負けていてもスティーヴは後悔しないと思うけれど。

 

 最後の試合の後、娘のピアノの演奏会のシーン。ショパンノクターンがそれは下手くそに弾かれるんだけど、これがちょっと沁みる。審査員と思われる人たちの「やれやれ」みたいな視線を集める娘オロールが、チャンピオンとの公開練習でボロボロにされ罵声を浴びせられたスティーブに重なるから。

 

 スティーヴは娘に、どんなに下手くそでも続けることが大事なんだ、そうすれば最後には...みたいなことを言ってた(正確なセリフは忘れちゃった)。チャンピオンとのスパーリングは危険だが報酬がいい。「打たれ強さ」で得た報酬でスティーヴは家族を幸せにする。

 

 カジノでのチャンピオンとのやりとりもおもしろい。ボクシングをそんなに負けてても続けることはできないというタレクに、スティーヴは「好きだから」と言う。「殴られるのがか」と言われて「違う...」と言う。

 

 スティーヴにとってボクシングは勝つためのものじゃなくて、それ自体ボクシングをすることそのものが楽しくて好きで、それで生きていってもいる(レストランでも働いているけど)。

 

 普段日の当たらない「負け犬」にスポットを当て、その生活と美学が決して誰にも「負けていない」ことを映し出した。チャンピオンの影に隠れる小さな幸せと、その幸せを勝ち取る逞しい努力を描いた素敵な映画だった。

 

 ところで、チャンピオンのタレク役のソレイマヌ・ムバイエは、フランス生まれのプロボクサーで06年に第32代WBA世界スーパーライト級王者なんだと…そら強いわけや